めんどくさい母ちゃんの日記

理屈っぽい母ちゃんの日々の育児や保育園について思ったこと、義父母との同居生活の愚痴など書いています。

おばちゃん先生の力

子供の担任の先生にはいろいろ思う所があって、どちらかと言えばネガティブな目でみてしまいます。

 

同じクラスのお母さんも私以上にこの担任の先生に良くない思いを抱いていて、学童のお迎えなどで顔を合わせると、「この間〇〇先生(担任の先生)に××××って言われてさぁ・・・・。」と愚痴を聞かされたりします。

 

特別に問題がある先生とは思いたくはないんですけれども、お母さん同士の愚痴や噂話なんかを聞かされると「ああ・・・。そんな先生なんだな・・・。」と思ってしまいますよね。

 

私自身も、もともと面倒くさい性格の上に「第一子の小学校生活」なので分からない事も多く先生との距離感にも未だ馴染めずに、先生からしてみても面倒くさい保護者と認識されているに違いありません。

 

そんなある日、

 

子供を学童までお迎えに行ったら(学童は学校に併設されています)、担任の先生に声を掛けられました。

 

何か子供の事で良くない報告や相談、提出物や子供の持ち物が間違っている指摘などをされるのかと思いきや、

 

娘は文章能力があるのでぜひ作文コンクールに娘の作文を出したいとの報告でした。

 

その報告自体も嬉しかったのですが、

 

自分に対しネガティブな感情を持っているであろう保護者に対してもサラリと対応できるスゴさを感じました。

 

担任のおばちゃん先生が実は私(保護者)の事など何とも思っていなかっただけなのかもしれません。

 

だけど、長い教員人生の中で「何となく苦手な保護者」は確実にいたと思いますし、そういった保護者に対しての関り方や自分自身の感情コントロールというのを習得されてきたんだなあと・・・・。

 

苦手だからとお互い避け合っていては情報の伝達が図れませんし、この辺はホントにプロだなと感じました。

 

考えすぎですかね?でも、良い出来事ではありました。

 

田舎の小1の友達付き合い事情

我が家は町の中心部から結構離れたところにあるので、子供の友達が近所にいないのです。

 

しかし、年齢が上がるにつれて長女は「〇〇ちゃんウチに遊びに来てくれないかなぁ」「■■ちゃんはこの間★★ちゃんの家に行って遊んだって言ってたよ。」という発言が聞かれるようになってきました。

 

毎日学校で顔を合わせて、学童で毎日一緒に遊んでいても「自分の家の自分のおもちゃで遊ぶ」「友達ん家の目新しいおもちゃで遊ぶ」ってのがイイんですよね。

 

私が子供の頃も毎日アッチコッチの友達の家に遊びに行った思い出があります。

 

子供の願いは叶えてあげたいところですが、長女はまだ小1で友達との約束なども確実ではありませんし家が子供が歩いて行き来できるような場所にないので、保護者の介入が必須です。

 

でも私、長女の友達のお母さんと連絡取りあったりする関係性を築けていませんで・・・・。

 

子供の望みは叶えてあげたいけれど、どうしたもんか・・・。

 

そんな時、下の子の保育園のお迎えでたまたま長女の同級生AちゃんとAちゃんのお母さんに会いました。

 

何気なくAちゃんに対して「今度、はな子(長女)の家に遊びに来てね~。」と声をかけたところ、Aちゃんのお母さんも「え~!!いいんですか!?」と好反応。

 

これはイイ感じに話が進みそうだと思いきや、Aちゃんのお母さんからまさかの一言が・・・・。

 

「(Aちゃんの)弟もイイですか?」

 

ん???AちゃんとAちゃんの弟、2人だけで遊びに来るって事?

 

「ダメです」なんてまさか言えるわけもなく、その時はハッキリとした事は決めずに、連絡先も交換せずに別れました。

 

Aちゃんの弟は保育園の2~3歳のクラスにいる子で、ウチの次女、三女とは学年が違うので正直どういう子なのか詳しくは知りません。

 

2~3歳って事は言葉は少し話せるようになったレベル?排泄はオムツの可能性もあるレベル?

 

Aちゃんのお母さんも付いてくるという事?

 

まさか、子供二人だけで来させないだろうとは思う反面、Aちゃんのお母さんはそういう事もしそうなタイプ。

 

ネットで調べてみると、こういう事例って結構あるんですね。「友達の弟妹も付いてくるなんて非常識」という意見でまとめられてはいましたが、まだオムツも取れていないような弟妹も上の子の友達の家に遊びに行かせるっていう人は結構いるという事ですね。

 

はぁ~、どうしたもんか・・・。

 

学校のメディアコントロールデー(ノーメディアデー)に参加しません!!

小学校から「メディアコントロールデー」なるもののプリントが配られました。他の学校や自治体では「ノーメディアデー」と呼ばれていたりもするようです。

 

以下、プリント内容の要約

1、メディアコントロールデーの趣旨

①家庭での過ごし方を見直し、テレビやゲーム等に費やす時間を減らすきっかけしたい。(一概にテレビやゲームの時間を0にすることを目的としているわけではありません)

②メディアに費やしていた時間を、 家庭学習や読書などの有意義な目的に使用し、 学力の向上や読書習慣の形成など、子供達の将来に生きる時間にしていきたい。

③子供達だけに要求するのではなく、 家庭も一緒に取り組むことにより、家庭全体で余暇時間の活用を図る契機としたい。(各学校の職員も一緒に取り組んでいます。)

2、メディアコントロールデーとは

家族が相談して実施日を決め、その日はできるだけメディアに触れている時間を、家庭学習や読書、家族の会話等にあてるようにすること 。

具体的には、

テレビ、ビデオ、ゲーム、メール、インターネット に触れる時間をなくしたり、時間を少なくしたりすることなどです。

3、実施対象者

町内の各小中学校の児童・生徒及び保護者

4、実施日

5月25日~5月31日までの期間の中で家族で相談して決めた一日

5、実施方法

①昨年度と同様にレベル別の目標を設定して行う 。

②別紙「実施計画・報告書」の計画欄に、家族で相談して記入し、事前に学校に報告する。

③予定した日に、家族で協力して「メディアコントロールデー」の取り組みを行う。

④実施後に、実際の実施状況を保護者が報告欄に記入して、学校に報告する 。

⑤各小・中学校ごとの集計結果を一括してまとめ、小・中学校の全保護者あてに知らせる。

というもの。

 

実施計画書には↓↓のような表になっていて、 

レベル1  テレビ、ビデオ、ゲーム、メール、インターネットの合計時間を2時間以内。
レベル2 テレビ、ビデオ、ゲーム、メール、インターネットの合計時間を1時間以内。
レベル3 ニュース・天気予報以外のメディアの利用時間を30分以内
レベル4 ニュース・天気予報以外はメディアを利用しない。

とレベルに分けられています。

各家庭でどのレベルにするか話し合い、〇を付けて一度担任の先生に提出するシステムです。

 

 何も考えなければ、まあ適当に提出すればよいのですが、よく考えてみると謎な部分が多いこの取り組み(プリント)。

 

まず、メディアコントロールデーの目的や趣旨は何となく理解できますが、「なぜメディアの時間を少なくするのか?」がイマイチ不明確でメディアを少なくする根拠がわからないと思いました。

 

学習や読書、家族とのふれあいの時間は「保護者がいつもより早く帰宅する」「早起きする」「30分遅寝する」等でも捻出できますよね?

そもそも、何でメディアを少なくする必要があるの?

 

ここの所がハッキリとしていないと、メディアコントロールをする目的がブレてしまうと思いますし、何のためにやるのか分からない事をやっても全く意味がありません。

 

一般的に考えると、ゲームやインターネットのし過ぎで目が悪くなる。ゲームやSNSなどを日常生活に支障が出る程に何時間もやり続けてしまう。という話も聞きますので、そう言った意味で、メディアを少なくするという事なのかなあとも想像はできますが・・・。

 

じゃあ、まあメディアを少なくする根拠はコレでいいとして、実施計画書のレベル1~レベル4のどれかに〇をつけようとしたのですが、

 

ウチの場合、普段から平日テレビは1時間以内なんですね。

 

ウチとしては、テレビは子供の楽しみにしている時間でもありますし、テレビ以外の時間は兄弟で遊んだり私と遊んだりして過ごしていますし、1時間が小1にとってべらぼうに長い視聴時間とも思えませんので、「良し」としているのですが、

 

ここから更にメディアを少なくする必要ってあるんでしょうか?

 

どこの家庭でも、睡眠や勉強はある程度は子供にやってもらいたいと思っていて、各家庭ごとにメディア利用のルールや時間などが親の許容範囲(親がまあ適切と思う範囲)で決められているのが大多数のように思います。

 

各家庭でメディアの利用が親の許容範囲内だったら別にいいじゃん。

 

「ゲーム?SNS?何時間でもどうぞ。」な保護者とか、まったく家庭でのメディアのルールを守れない子供もいるのかもしれません。そう言ったケースに、メディア以外の有意義な時間を考えてもらう機会なのかもしれませんが、少数派なんじゃないでしょうか?そもそも、メディアコントロール以外に問題がありますよね。

 

適正なメディアの時間は〇〇時間とか決められているわけでもないし、各家庭で適正と思われるレベルに設定してくださいって事だと思うんです。

 

各家庭の適正なレベルは先に述べたように既に毎日の生活の中でルールや時間が決められて運用されていますから、とりたてて、この取り組みをしなくても良いのではないかと思います。

 

「メディアをやりすぎてしまう家庭」・「まあまあメディアは適性の範囲内の家庭」どちらもあるわけですから、ざっくりとしたレベル分けではなくもっと各家庭の個別性に合わせた取り組み方法を考えるべきなのではと思いました。(小1と小6でも適正なメディアの時間、適正な勉強時間、適正な余暇時間って違うと思うんですよね。)

 

ウチは普段から1時間以内だから、実施計画も1時間以内にして学校に提出しました。だって、そこまでメディアを減らす必要がないし・・・。

 

そしたら、担任の先生のコメントが「少しずつレベルアップしていければいいですね。」だって!!

 

マジ、意味わっかんねーーー!!!

メディアコントロールデーの趣旨①のところに

『一概にテレビやゲームの時間を0にすることを目的としているわけではありません』となっているのに、レベルアップ=メディアの時間を減らすって事ですよね?

 

先生方もイマイチこの取り組みの趣旨がわかっていないのでは?(企画者はPTAが主なので先生が分からないのも仕方ないのかもしれませんが・・・。)

 

そもそも、これからの時代はもっとメディアが溢れ(lotとか)、メディアに触れる機会も多くなることが予測されるわけですから、ただメディアを制限するのではなくメディアをどう付き合っていくかを学ぶべきだと思うんですよね。

 

そこで思いついたんですけど、メディアの時間を何時間以内とかに制限するのではなく、何か子供自身がやりたいことを設定し目標を決めて、その日は「そのやりたいことに取り組む日」にするのはどうだろう?

 

やりたいことは、勉強や読書でもいいし、ジョギング等の運動や部活の自主トレでもいい、料理や手芸・木工、親の手伝いでもいいし、兄弟と遊ぶでもいい。何か集中してやりたいことがあれば、おのずとメディアの時間は少なくなってくると思うのだが・・・。

 

メディア以外の「やりたい事」「好きな事」だからムリがないし、有意義な余暇時間がすごせそう。

 

詭弁かな・・・・。

 

「今日はゲームは1時間以内だからその他の時間は本でも読むか・・・。」よりも「今日はあの本とあの本を読みたいからSNSはこの位でやめておくか。」とか「部活の自主トレが終わって少し時間があるからちょっとだけテレビ見るか。」とかの方がより自主的で計画性があり「メディアコントロール」になっていると思うんです。

 

詭弁かな・・・・。

 

各学校でそれぞれのやり方があるだろうから、メディアコントロールデーの考え方自体は悪い事ではないと思います。ただ、こういうやり方はチョット違うんじゃないかという個人の感想です。

授業がつまらない

私の弟(長女から見れば叔父さん)には小学5年生の子供がいて、

 

長女がまだ年長さんだった頃、

 

「小学生になると楽しい事がいっぱいあるぞ~。」と声をかけてくれたり、

 

 就学前健診で学校の先生が、やはり「学校は楽しいよ~。」と言ってくれたりしました。

 

入学説明会では「学校生活に期待が持てるような言葉かけをお願いします。」と指示されました。

 

入学する前から「学校は嫌だな~。小学生になりたくないな~。」なんて思わせるよりも、ワクワクしながら待っていてもらった方が子供にとっても良いのかもしれませんが・・・。

 

ただ、もうすでに長女は、

 

「学校、嫌だな~。授業があるからつまらないんだよね~。」と言っています。

 

授業がつまらないらしいです。

 

私がよく見させてもらっている小学校の先生のブログ界隈では、

 

児童の興味や関心を引き出すような授業になるように工夫されているのをよく見ていたので、

 

当然、長女の担任もそうだろうと思っていました。

 

もちろん、先生も工夫はしているけれど、「授業」であって保育園でしていたような粘土遊びやお絵かきのような「遊び」とは本質的に全く違うものだから、子供の求める「楽しい」授業にはなりえない。

 

という部分もあるとは思いますが、

 

小1のまだ5月にやるレベルの学習内容で「つまんない」って、相当つまんないんじゃ・・・・。(まだ、ひらがなの「む」は習っていないレベル)

 

このレベルだっらたいくらでもやりようあると思うんですけどねえ・・・・。

 

授業という形式にまだ慣れていなかったり、「学ぶ楽しさ」っていうのはもっと後からわかってくるものなのかもしれません。

 

でも、プロなんですからそのことも踏まえたうえで授業計画を立ているわけですよね?

 

素人の考えなので的外れなことを言っているのかもしれませんが・・・。

 

「小学校は楽しいところ」と言われて小学校に入ってみたら、そうでもなかったという事に長女がそうそうに気が付いた。という話。

初めての小学校の運動会

土曜日は小学校の運動会でした。

 

長女は本当に「負ける」「失敗する」「間違える」という事が嫌いで、運動会も本当に嫌がっていました。

 

コチラの記事でも少し触れましたが、

mathxxvv.hatenablog.com

運動会の練習の時に先生に怒られたことも尾を引いているみたいでした。

 

そんなわけで、私自身も小学校の運動会にネガティブな感情をもってしまっていたのですが、実際に参加してみると、子供たちがとても元気ハツラツですごく活気のある学校であることが分かりました。

 

過疎地の小学校なので児童数も少ないため、「盛り上がるの~?」なんて思っていたのですが、保護者の参加する競技が多かったり、異年齢集団での競技などもありで一体感も物凄い!!

 

保護者も競技にドンドン参加しちゃうし、全く知らないよその子供でも応援しちゃう。

 

「運動」会なんだから華はなくても、運動面での学習の成果を保護者に発表する場であって・・・・。

 

と私は思っていて、ソレとは少しかけ離れた部分もあったのですが(地元のフェスティバル的な要素が強いのかな?)皆が楽しんでいたらそれはそれでOKなのかなと考えを改めた今日この頃。

 

最近の小学校の運動会はどこもこんな感じなの?

 

学校に対するネガティブな感情も薄れました。 

昨日の今日であっさり主任に思いが届いた!

一昨日、こんな 記事を書いたが

mathxxvv.hatenablog.com


伝わった事もあるようで・・・。


保護者会総会の翌日、保育園にお迎えに行ったら主任(教頭先生的な)の先生から声をかけられました。


「保護者会費について、役員だけで決めちゃったからね~。突然、無料にするって言われても皆分からないですよね。スミマセンでした。」と・・・。


で、流れで私が保護者会に対して常々思っていた事などもお話しさせて頂きました。


社交辞令かも知れないけど、「もっと活発に意見交換するなどより良い保護者会だったり保育園にしていきましょう。何か気がついた事があったらまた意見下さい。」と主任の先生からいってもらいました。


個人が一つ二つ疑問を述べたところで、何も変わらない。とか言っちゃったけど、すぐに、それなりの立場の人に届いてビックリ&嬉しい😃


声に出すってやっぱり大事。

保護者会を変えるのは難しい。

昨日は、保育園の保育参観でした。

 

保護者会の総会も同時に開かれたので、コチラの記事でも少し触れた、

mathxxvv.hatenablog.com

保護者会費について疑問に思ったことを勇気をもって質問してみました。

 

ああいう場ではいつも誰も質問しないので、発言するって勇気がいりますよね~。

 

大前提として、「これまで会費として子供一人につき3000円を納めてきたが、今年度から保護者会主催のイベントなどお金が必要になった時にだけ、その都度徴収していくようにする」という案件がありまして、

 

私が疑問に思ったのは、

これまで予算に組み込まれていた『慶弔費』についても、その都度徴収するんですかね?『慶弔費』については特に言及されていないんですけど・・・。

 

事務局側からの回答は、「『慶弔費』というのは滅多に出るものではないので特に考えていなかった。」「園で実際に慶弔費が使われたのは、十数年前に園内の事故で子供が亡くなってしまったケースだけだったので・・・。万が一そう言う事が起こった場合には、保護者会の役員と相談してどうするか決めたいと思う。」ということでした。

 

そもそも、『慶弔費』っていうのは誰がどうなった時に支払われるのも何ですか? 

 

園側「子供が亡くなった時だけです。」

 

というやりとりがありました。

 

長年疑問に思っていた保護者会費の使い道が明確になってスッキリしたと思う反面、

 

私としては、もっと具体的でわかりやすい会計報告をすべきでは?という意味もあっての質問だったんですけどね~。

 

このやり取りだけでは、個人的な疑問があの場で解消されただけで、保護者会の在り方にまで言及するようなものではなかったな。と。

 

 

保護者会総会で「質問」という形で発言してもダメだという事が分かりました。

 

やはり、時間を割いて先生や保護者会の役員の方とお話ししないとダメそうですね。

 

でも、保護者会の役員は知らない人ばっかりなんですよね~。

 

まあ「疑問に思ったことは聞く」とか少しずつでも発信していけば、変わってくることもあるかもしれないし、頑張ろう。