めんどくさい母ちゃんの日記

理屈っぽい母ちゃんの日々の育児や保育園について思ったこと、義父母との同居生活の愚痴など書いています。

「かわいそう」という言葉に対するモヤモヤ

愚痴です。

先日、義母と「長女はな子が小学一年生になったとき学年に(クラスメイトは)何人くらいいるのかな。」という話しになりました。

私「んー?4~5人くらい?」(瞬間的に4~5人と言ってしまいましたが、後からよく考えてみたら7~8人はいそうかな?過疎の進んだ田舎の町なのでそれでもまぁア少ないんですが・・・。)

義母「えー!!かわいそう!!(涙)」

義母「私が教員していた頃も、〇〇村の小学一年生2人だけっていうのを担任したときあったよ。かわいそうだったよー。(ウチの近くに廃校になった分校があるのですが)そこの分校も最後の方は一学年に生徒一人みたいになってたもんねぇ。うわぁ~かわいそうだわぁ~。」

何かイラついた。

以下は心の声、「あんたら(義父母)が同居しろ同居しろというから、こんな子供の同級生が数人になってしまうような町に住んだんでしょうが!!」「孫がかわいそうと思うなら、同居なんて勧めなければ良かったでしょうよ!!」(義父母から見たら)孫の同級生が数人になるだろうことは(ずっと前から過疎の町ですから)安易に予測できたはずなのに、同居を勧めた自分たちを棚に上げてる感??

いや、よく考えてみれば最終的に同居すると決めたのは自分たち夫婦なんで、自分たちにすべての責任があるのです。義父母のせいにしてはいけません。わかっています。わかっています。けど、このモヤモヤした気持ち何なの??

 

思い返せば、義母は世間話の中で「かわいそう」「たいへんだ」を多用するのです。例えば「高齢で一人暮らしなんて〇〇さんは『かわいそう』」とか「暑い(寒い)なか外で仕事する人に対して『たいへんだ』」」とか。義母のなかでの最大限の共感やねぎらいの表現なのだろうと思われます。が、その度にモヤモヤというかそれも通り越してイライラしていました。だって、高齢で一人暮らしでも配偶者や子供とギクシャクしながら一緒に暮らすより幸せって思っているかもしれないし、子供や孫がしょっちゅう遊びに来て良い感じの距離感を保っているのかもしれない。外で仕事をしている人たちは、天候によってつらい日もあるだろうけどそれが「仕事」ですから。どんな仕事でも、それなりに大変な事ってあるわけで・・・。子供の同級生が数人しかいないことも、私や娘からしたら保育園に入った時からわかっていたことです。皆それぞれに、良いことや悪いことがあるけれども受け入れて普通の事として生活しているわけです。

義母に全くそのつもりはないんだろうけど、私たちにとっては普通の事を「かわいそう」「かわいそう」と強調されると、何か上から目線で言われているような感じがしてイラつきます。

そして、ココまで書いて気が付きました。「かわいそう」という言葉も良くないですがそれ以上に、高齢で一人暮らし→かわいそう。暑い(寒い)のに外での仕事→たいへん。子供の同級生が数人しかいない→かわいそう。という、義母の価値観にそぐわないものは「かわいそう」という決めつけていることが一番のイラつきのポイントであることに。

 

義母はものすごーく優しい人ではあるんですけれども、世代間の価値観の違いでイライラさせられること多々あります。

日々修行です。