小学校の家庭訪問で感じたモヤモヤ
長女が小学生になりまして、先日(と言っても結構前に)家庭訪問がありました。
前段階の出来事として、
入学してすぐ位の体育の授業で行った運動会のリレーの練習で、長女は走るのがビリになり、泣いてしまったそうです。
そして、先生からは「泣くのは怪我をした時だけだよ。」と怒られたそうです。(あくまで長女の視点からの出来事で、先生は多分怒ったわけではない。・・・と信じたい。)
それ以来、長女は体育が嫌いになってしまいました。
ある時、長女が「明日の体育、グラウンドでやるの嫌だなぁ・・・」というので、
じゃあ、「今日は体育館でやりましょう」って提案してみたら😊?どうしても体育館でやりたいってお願いしたら、やってくれるかもしれないよ。一人で言いずらかったら、お友達と一緒に言ってみたら?
と提案してみました。
「えー先生は絶対ダメって言うよ。」「怒られるよ。」と言って、結局次の日に先生に訴える事はなかったようです。
私としては「今日は〇〇がしたい。」とか「どーしても〇〇だけはやりたくない。」と子供自身が主張することは悪い事だと思いません。
むしろこれからの時代は、自分の意見を主張したり、自分の意見を相手に飲んでもたうためにはどうすればよいのか交渉する事は必要な事と思っています。
「学校」ですからある程度の予定はすでに決まっていて、子供が主張したところで変えられる事は少ないでしょう。
たとえ自分の要求が通らなかったとしても、それはそれでイイんです。まずは、先生に自分の考えや希望を伝える事が大事です。
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とココまでが前置きで、いざ家庭訪問の当日。
話しの流れで前置き部分の出来事の話をしました。私としては、
〇先生に怒られたことで、子供が体育が嫌いになってしまったという現状を先生に知ってもらいたい。(ここから不登校につながる恐れもあるし・・・。)
〇娘は「先生に怒られるから」と、なかなか自分の意見や要求を伝えられない性格であることを先生に知っておいてもらいたい。(新学期が始まったばかりで、個々の性格をまだ把握していないと思われたため、娘の事を少しでもわかってもらえれば・・・。)
〇子供自身が意見や希望を主張する事を私は大事に考えてるという事を先生にも知ってもらいたい。(個々の家庭や保護者の状況を知るための家庭訪問なわけだし・・・。)
という思いからお話ししました。
で、先生からのお答えは「オホホホホ・・・・(何をバカなことを的な笑い)。授業の予定などはあらかじめ決められていますから、急に変えられないんですよ。」
それはわかっていますけど💢💢、(例えば)体育の授業なんかはグラウンドで予定していても雨が降ったら体育館でやらざるを得ないわけで、ある程度自由が利くと思うのですが・・・。
何だか自分の教育方針が馬鹿にされたようでガッカリしました。
また「意見の主張っていうのも、小1ではまだ早いっていうか、なかなか難しいんだと思いますよ。自主性とかっていうのは5年生くらいにならないと難しいかもしれないですね。5年生くらいになれば授業の中で自分たちで計画して活動したりとかの機会がありますから、その時に存分に自分の意見を出すことはできますから・・・。自主性というのはその時にでも学べますから・・・。」とも、言われました。
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でもね、思うんですよ。
あらかじめ決められた授業の中でのみ発揮できる自主性って本当の自主性とは違うんじゃない?
それって、本当の身に付いた力・学びとは言えなくないか?
自主性っていうのは高学年になって授業で学習するもんでもないでしょうに・・・。
もっと小さいうちから生活に即した場面で自然に育まれるものなんじゃないかと思うのですが・・・。
「自主性」という言葉も私が言いたいこととは微妙に違うような気がするし、どちらかと言えば「主体性」なのかな。よくわかんないですけど。
「自主性」でも「主体性」でも高学年になってからではなくて、もっと小さいうちから大人との信頼関係の中で、自分の意見を主張しそれを受け入れてもらった経験を何度も積み重ねないと育ってこないんじゃないかなあ。
大人だって自分の意見が無視され続けたら、意見を言いたくなくなっちゃいますもんね。
何でもかんでもあれはダメ、これはダメ、授業の予定は決められているから変えられない、と子供をガチガチに締め付けて育ててきたから外国人から「日本人は自分の意見がない」とか言われるんじなかろうか。
その場での口頭でのやりとりで上手く意図が伝わらなかったってのもあるでしょうが・・・。
小学校に入学早々、担任に不信感を抱いた出来事でした。